p.2 幼少期①

p.2 幼少期①

一番小さい頃の記憶、となると、保育園似通っていた頃になる。親は共働きで、父方の両親と同居するという、昭和スタンダートと思われる拡大家族。拡大家族って言葉、十数年ぶりに使った。

先に家族紹介。

父親は教師。1950年頃の生まれだったと思う。皆は親の年齢って覚えているものなのだろうか?私は全然覚えられない。誕生日が自分と一日違い。ひょうきん者で、気難しい話はしない、したがらないように見える。父と息子の関係としては、至って普通に会話なし、と言った感じ。

母親は医療系の仕事、でも看護師ではない。父親より五つくらい年下、多分。仕事をしながら、家事をやるというワーママ。義祖母のサポートがあったとはいえ、大変だったろうと想像がつく。定年まで同じ職場で勤め上げた。時代を考えれば、色々容易ではなかったろう。

ちなみに二人の馴れ初めは、お見合いらしい。どういう経緯、紹介かは聞いていないが、当時のお見合いと想像すると、この2人は本当に好きあって結婚したのだろうか、なんて考えてしまう。ダンナさんは教師だから、ものすごい稼ぎではないけど、安定しているから良いわ、とか周囲が言ったりするのだろうか。

3つ上の姉。記憶のある限りではずっと仲は良いと思う。学校では割と優等生で、学級委員候補とかになるような人だったらしい。私は3年遅れて同じ学校に通うため「ああ、あの○○ちゃんの弟クンね」と言われていた。あまり心地よい事ではなかった。

父方の祖父母と同居していた。祖父は地元の鉄道会社に勤務していたらしい。私が産まれた時には、脳梗塞が原因で左半身不随になっていた。酒が原因らしい。かなり酒癖が悪かったようで、祖母は大変だったようだ。

祖母には、小さいころ一番面倒を見てもらっていた。保育園に行ったのは3歳からで、それまでは昼のお世話は祖母がしていた。小学校や中学校に上がっても、日中家に居るのは祖母で、その景色を覚えている。

個々人にはいろいろあるが、世間的に見れば昭和のモデルケース的な家族。金銭的にはそれほど不自由なく生活していたと思う、有難いこと。